私の先祖はメキシコ人!?

23歳、初めてのメキシコ旅で抱いた感想がそれでした。

学生時代から海外旅行が好きで、カナダへの語学留学を含め、海外での滞在には慣れていましたが、旅先では、値段を吹っかけられたり、ぼったくられそうになったり、嫌な思いをすることもしばしば。けれど、メキシコでは1度もそんな思いをすることはありませんでした。

同じホテルに泊まっていたメキシコ人家族が飲みに連れて行ってくれたり、歩いているだけでフレンドリーに話しかけてくれたり、言葉が通じなくても楽しませようとしてくれたり…当初抱いていた“メキシコ=危ない”という先入観はあっという間に消滅。

レストラン、市場、屋台、会う人みんなが親切であたたかくて、大人になってからこんなに心から楽しいと思えたのは久し振りでした。そうして10日間の旅の後には、初訪問にも関わらず、あぁ私は“メキシコに帰ってきた”のかもしれない、なんて感じるくらいこの国の魅力にどっぷりハマってしまったのでした。

 

メキシコに関わる仕事がしたい

帰国後もメキシコへの愛は収まらず「日本でもメキシコの魅力に浸れる場所を作りたい」そんな思いに駆られた私は、お店を出そうと決意しました。思いたったが吉日、猪突猛進な私は、スペイン語の習得とメキシコの歴史や文化を学ぶため、帰国期限を決めずに再び渡墨。何も持たずに飛び込んだ日本人を、たくさんのメキシコ人が助けてくれ、ふと入ったバーでも人気のカクテルやレシピなど色々と親切に教えてくれました。

日本でメキシコのバーをしたいと言うと、たまたま仲良くなったメキシコ人が飲食関係の仕事をしているからと、レストランやバーや蒸留所のオーナーを紹介してくれたり、色んなバーに連れて行ってくれたりetc、お店をオープンするのに本当に助かりました。今でもその友人とは本当の家族のようなお付き合いが続いており、毎年私がメキシコに行くのを楽しみに待っていてくれます。

 

余談ですが、

メキシコでは家に遊びに行くと、「Mi casa es su(tu)casa」とよく声をかけられます。直訳すると『私の家はあなたの家』ですが、“気楽にしてね”とか“くつろいでね”という意味で使われます。メキシコ人の温かさがにじみ出たようなこの言葉が私は大好き。日本では考えられないですが、メキシコでは少し仲良くなると、直訳通り『私の家はあなたの家』と言って本当に家に泊めてくれます。1度バーで出会っただけのメキシコ人の家にも泊まらせてもらったことがあります。

 

そんな温かいメキシコの人々に助けられながら充実したインプットの旅は結局半年続きました。

世界有数のリゾート地カンクンに2ヶ月、第2の都市グアダラハラに4ヶ月滞在し、知識だけでなく、新たなメキシコの魅力をたくさん発見。中でも奥深いメキシコの食文化と歴史に触れたこと、特に古代アステカからの伝統的醸造酒を起源にもつテキーラの芳醇な世界に足を踏み入れたことで、“メキシカンバーを出す”という夢がむくむくと膨らんでいきました。

  

絶対にオープンさせるんだ!

夢が具体的に定まった2002年の冬、帰国便で降り立った関空のゲートを出た時に、やる気と不安の入り混じった武者震いのような感覚を今でも覚えています。右も左も分からぬ未経験者のまま大阪で商売を続けられるほど甘い世界でないことは、26歳の私にも分かっていたので、帰国してからとにかくがむしゃらにあらゆる種類の接客経験を積みました。

飲食店だけでなく、コンビニスタッフ・キャンペンガール・アパレル店員等々…

 

ただ接客スキルだけでなく、スタッフ間の調整やバックヤードの管理や受発注などの事務作業etc 学ぶことは無数にあります。例え単発で入ったアルバイトであっても、瞬時にそのお店のシステムやまわし方を見抜いて吸収する力は、現在の飲食コンサルタントの仕事にも繋がる私の武器ともなりました。

後々特に役立ったのは、コンビニでのアルバイト経験。4ヶ月ほどでしたが、発注も任せてもらい、よく売れる商品や季節の商品の発注数や在庫数、売りたい商品をどこに置くか、駅に近いか近くないかで商品が変わってくる等々…非常に多くのことを学ばせていただきました。

  

偏見とのたたかい

友人や知人にテキーラのお店を出すと言うと、反対する人がほとんどでした。

「メキシコやテキーラの魅力を知ってもらいたい!」そんな強い思いで、200391 大阪心斎橋に『Bar Cactus』をOPENしたものの初めは大苦戦。

今でもテキーラと聞くと「パリピがショットで一気飲み」「キツいお酒」まだそんなイメージを持たれている方がいらっしゃるかもしれません。当時はそれ以上に間違った情報や良くないイメージが先行しており、お客様におすすめしてもなかなか飲んでいただけない日々が続きました。

 

徐々に風向きが変わってきたなと感じたのは、2008年に東京でテキーラ協会が発足し、体系的に学べる資格取得講座が開かれるなど関係者の地道な努力と、元々テキーラの最大消費国であるアメリカで起きたプレミアムテキーラの大ブーム。

ハリウッドスターやセレブが愛飲するお酒として紹介されたり、日本でも知名度の高いミュージシャンやジョージ・クルーニー、ジャスティン・ティンバーレイク、マイケル・ジョーダンなどの著名人が所有するテキーラブランドがメディアで紹介されるなど、一般の方へのイメージが向上していきました。注目度が上がったおかげでイベントも増え、ホテルや普通のバーでも様々な種類のテキーラを楽しめるようになり、うちのお店でも幅広いお客様に飲んでいただけるようになりました。

  

仲間とテキーラと…

「3年がんばったらメキシコに行こう!」店が軌道に乗るまでガムシャラにがんばった戦友でもある店長との約束。3年目からは、毎年2月に8泊でリゾート地とメキシコ第2の都市グアダラハラに行くようになりました。リゾート地ではめいっぱい遊び、グアダラハラでは毎回3箇所くらいの蒸留所をまわるなど、スタッフの慰労と勉強を兼ねた旅です。

入店当初はさほどテキーラに詳しくなかったスタッフもどんどんメキシコやテキーラの魅力にハマり、立ち上げ時の店長は最後までの16年、その他のスタッフも10年前後と、人員の回転の早い飲食業の中では珍しい、長く勤めるスタッフの多いお店になりました。

Bar Cactus』の8年後にOPENした『Cactus Cantina』も同じく…

  

長い経営者生活の中にはもちろん大変なことは山ほどありましたが、大切な仲間達と大好きなメキシコ・テキーラに携われる幸せな日々を過ごさせてもらいました。